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滋賀、京都、大阪を拠点に活動する一級建築士事務所。店舗・テナントビルなど、優れたデザインを提案します。

INTERVIEW

PROFILE

1976年尼崎に生まれ、その後すぐに滋賀県草津市へ。地元の八幡工業高校を卒業後、大阪工業大学 短期大学部 建築学科へ進学。
大学卒業後は、まず現場を学びたいと思い、大手ゼネコンの現場監督業に就く。

23歳で滋賀県草津市に戻り、地元の設計事務所で勤務。30歳の時に独立するが、うまくいかず約半年で断念。
再び元勤務先の設計事務所に戻り、設計部の部長として勤務する。

そして6年後に再び独立を決意、アリモトデザインワークスを立ち上げた。

JIA公益社団法人 日本建築家協会会員
一級建築士大臣登録第313961号
 
所属

□ 草津ライオンズクラブ
□ 公益社団法人滋賀県建築士会
□ 一般社団法人 滋賀県建築士事務所協会
□ 草津商工会議所 建設部会 理事
□ 草津商工会議所 YEG 理事
□ 公益社団法人 草津青年会議所OB あしなみ会
1976年尼崎に生まれ、その後すぐに滋賀県草津市へ。地元の八幡工業高校を卒業後、大阪工業大学 短期大学部 建築学科へ進学。

大学卒業後は、まず現場を学びたいと思い、大手ゼネコンの現場監督業に就く。

23歳で滋賀県草津市に戻り、地元の設計事務所で勤務。30歳の時に独立するが、うまくいかず約半年で断念。
再び元勤務先の設計事務所に戻り、設計部の部長として勤務する。

そして6年後に再び独立を決意、アリモトデザインワークスを立ち上げた。

JIA公益社団法人 日本建築家協会会員
一級建築士大臣登録第313961号
 
所属

□ 草津ライオンズクラブ
□ 公益社団法人滋賀県建築士会
□ 一般社団法人 滋賀県建築士事務所協会
□ 草津商工会議所 建設部会 理事
□ 草津商工会議所 YEG 理事
□ 公益社団法人 草津青年会議所OB あしなみ会
建築家を志した理由
-どんな子供時代を過ごしましたか?

 
母親の趣味が絵を描くことだったので、兄も僕も小さい頃から芸術が好きでした。小学生の時には、兄弟そろって絵画などの賞をよくもらっていた覚えがあります。
中学生になってからは美術と理数系が得意で、反対に国語や英語は少し苦手でしたね。
中学3年生になり、高校進学について悩むようになって、自分が将来やりたい事を考えていたころに、地元の草津駅に初めてタワーマンションが建ったんですよ。
その時に、これだ!と思いました。
 
 
 
-その時に、将来は建築家になろうと決めたんですか?
 
そうですね。得意な科目も活かせるし、気持ちが決まりました。
志望の高校も、県内の建築学科のある学校に決めました。高校生活は好きなことを勉強することが出来たから、一生懸命がんばりましたね。
そのおかげで好成績を維持することができて、大学受験は推薦が受けられる状況になったんですよ。
そんな時、当時大阪工業大学に夜間の建築学科があることを知り、進学することを決めました。
自分で学費を出さないといけない事情があったので、バイトで稼いで必死で大学に通いました。四年制へ編入することも考えていましたが、さすがに若かったので少し遊んでしまって、それは叶いませんでした。

地元、滋賀県で独立するまで
-大学卒業後は現場監督の仕事に就かれたんですよね?
 

はい。まずは現場で勉強したいという思いからですね。3年間、近畿一円の様々な現場で仕事をさせてもらい、とても良い経験になったと思っています。
23歳の時に地元の草津市に戻り、設計事務所に就職しました。そこではテナントビルや賃貸住宅、大型店舗の設計に携わりました。必死の思いで勉強して、一級建築士試験にも県内トップの成績で合格することができました。
その頃の僕は、30歳までに独立したいという目標がありました。そしてそれをに本当に実行したんです。
当時は結婚し、子供も生まれたばかり。妻は不安だったと思います。
なんとかなる!と思っていざ独立したものの、やはり現実はそう甘くはありませんでしたね。わずか半年ほどで立ち行かなくなり、元々働いていた事務所に戻らせてもらいました。
今思えば、仕事の取り方もわかっていなかった。誰かが助けてくれるだろうと、根拠のない自信で行動した結果でした。
 
 
-その苦い経験から、再び独立に至ったのはなぜですか?
 
復帰してからは6年間勤務させてもらい、設計部の部長という責任ある役職も与えてもらいました。
今度こそはやれるという自信もついたし、年齢を重ねるとやっぱり自分自身でやっていきたいという思いがありました。
僕はデザインが得意なので、その方向でもう一度独立しようと決めました。
それから今まで、しっかりと考えを持ち、自分が良いと思えるものを造ることができていると思っています。

地元、滋賀県で独立するまで
-大学卒業後は現場監督の仕事に就かれたんですよね?
 

はい。まずは現場で勉強したいという思いからですね。3年間、近畿一円の様々な現場で仕事をさせてもらい、とても良い経験になったと思っています。
23歳の時に地元の草津市に戻り、設計事務所に就職しました。そこではテナントビルや賃貸住宅、大型店舗の設計に携わりました。必死の思いで勉強して、一級建築士試験にも県内トップの成績で合格することができました。
その頃の僕は、30歳までに独立したいという目標がありました。そしてそれをに本当に実行したんです。
当時は結婚し、子供も生まれたばかり。妻は不安だったと思います。
なんとかなる!と思っていざ独立したものの、やはり現実はそう甘くはありませんでしたね。わずか半年ほどで立ち行かなくなり、元々働いていた事務所に戻らせてもらいました。
今思えば、仕事の取り方もわかっていなかった。誰かが助けてくれるだろうと、根拠のない自信で行動した結果でした。
 
 
-その苦い経験から、再び独立に至ったのはなぜですか?
 
復帰してからは6年間勤務させてもらい、設計部の部長という責任ある役職も与えてもらいました。
今度こそはやれるという自信もついたし、年齢を重ねるとやっぱり自分自身でやっていきたいという思いがありました。
僕はデザインが得意なので、その方向でもう一度独立しようと決めました。
それから今まで、しっかりと考えを持ち、自分が良いと思えるものを造ることができていると思っています。

考え方と今後の展望

-今後はどのような仕事をしていきたいとお考えですか?
 
そうですね。滋賀県はまだまだ色々な可能性があると思うんです。
この住みやすい環境の滋賀県に、もっともっとカッコ良く機能的な建築物を造りたい。建築士はそれができる仕事です。
 
僕は自分のスタイルに固執することはしたくないと考えています。
クライアントのご要望を細かいことまでヒアリングし、『利益を生むデザイン』となるように、最高だと思っていただけるプランをこれからも提案していきたいですね。


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